JP STARTUPSJP STARTUPS日本発スタートアップを紹介、応援するメディア

The web magazine that introduces and supports Japanese startups

コンフォートゾーンから飛び出せーEventHubは日本を海外へ繋げる架け橋

Share:

新型コロナウイルスの影響で多くの企業が打撃を被った。そのような中、勢いを増した業態も存在する。その一つがオンラインイベントプラットフォームだ。三密を避けるべく開催中止が相次いだリアルイベントに代わり、世界中で「オンラインイベント」は注目を浴びるようになり、参加者間交流が可能なプラットフォームが台頭してきた。

オンラインイベントプラットフォームを運営するEventHub(イベントハブ)は業界をリードする。主にウェビナーやカンファレンスなどのビジネス向けイベント管理プラットフォームを提供しており、ウェビナー視聴やリアルタイム質問用掲示板、スポンサーなどの出展者向け機能や、参加者同士のオンラインミーティングスケジュール調整機能などを含む、イベントの立ち上げから配信、終了後のデータ分析まで「一気通貫」で管理できることを強みに、日本国内だけでなく海外でも利用されている。

創業者の山本理恵(やまもと・りえ)氏は、新卒で外資系コンサルティングファームに就職、アメリカでビジネスの一歩を踏み出した。彼女はなぜ挑戦の場に日本を選んだのか、また、イベント業界に挑もうと考えたのか。

グローバルビジネスの架け橋となるカンファレンス

山本さんはどのようなキャリアを歩まれてきたのでしょうか?

イギリスとアメリカで幼少期を過ごし、アメリカの大学を卒業しました。就職先として選んだのは、戦略コンサルティングファームのマッキンゼー・アンド・カンパニーです。新卒として入社し、コンサルタントとしてキャリアをスタートさせ、医療系を中心にアメリカの企業向けにコンサルティングをしていました。マッキンゼーには社内制度としてMBAへの進学や他企業への出向などの制度があるのですが、私は、実際の経験を通して成長したいと考え、出向という道を選びました。

出向先は、日本の教育系NGO「Teach for Japan」でした。アメリカではハイキャリアな人たちの就職先としてディズニーや投資銀行と並び、Teach for America等の非営利団体も人気が高いのですが、私が出向を考えていたまさにその時期に、日本法人としてTeach for Japanが設立されると聞き、立ち上げメンバーとしてジョインすることを決めました。日本語で仕事が出来るかという不安や日本語に対してのコンプレックスもあったのですが、この案件は英語がベースということだったので、その安心感から決断したということもありました。

17年近くアメリカで生活をしていたので、日本で生活することは自身にとって大きな変化だったのですが、この出向に伴う日本赴任が、キャリアの転機の一つとなりました。Teach for Japanで勤務して1年近くが過ぎ、次のキャリアについて考え始めたのはこの時期です。アメリカに戻ってコンサルタントとしてのキャリアを積んでいくことも考えたのですが、もっと他国での経験を積みたいという思いが強くなっていました。実は、当時のマッキンゼーは、5年以内であれば一度退職をしても、復職できる制度があり、それであれば挑戦をしようと、そのまま日本に残ることを決意しました。最初は何もかもゼロからなので、日本の就職活動を知らない私は、まず今までのキャリアを活かして個人事業主として働いてみることにしました。その間、多くの日本のスタートアップと交流する機会があり、また、様々なビジネスにも触れ、純粋に「アメリカにあったテクノロジーやサービスが、どうしてまだ日本市場に存在しないのだろう」と感じることがありました。「ないなら自分で作ろう」と思ったあの時が起業の原点です。

「起業家になりたい」というマインドというよりは、自然発生的な思いで事業を興されたのですね。イベントというカテゴリを選択されたのには何かきっかけがあったのでしょうか。

私はフリーランスとしてマーケティング業務を多く請け負っていました。当時、関連カンファレンスにもよく参加していたのですが、日本では、印刷したカーボン紙に、鉛筆でメールアドレスなどを記載する方法で参加者の管理をしていました。一方、アメリカでは既にモバイルアプリなども開発され、参加者の管理や交流もデジタルツールを利用するのが一般的でした。私も、イベントはデジタル化されているのが当たり前と考えていたので、日本のイベントの常識に衝撃を受けました。日本はまだまだ「紙文化」です。しかし、紙で参加者の情報を取得した場合、その情報の管理はどのように進められるのか。例えば、情報を一元管理するためには紙の管理表に転載するか、Excelなどのツールに入力する必要があります。そこには人的リソースが必要です。また、そもそも一文字でも間違えて入力してしまえば、メールは届かない。誰もがスマートフォンを持っている時代に、どうして誰も便利さを追求しないのか疑問が湧きました。同じことを考えている人はきっと存在するはずだ、イベントのDX化は今後必然的に起こると考え、この分野で起業することにしました。

なるほど。出資を受けられたSanSanも名刺文化のDX化ですが、日本に残るペーパーワーク習慣に課題を感じている人は少なくなさそうですよね。

はい。当時出資いただいた時、Sansanやセールスフォースからは、この業界のDXは大きなポテンシャルがある、と共鳴いただきました。

また、私がEventHubを興した理由は、イベントのDX推進という目的のほかにもう一つあるのです。私はグローバルなバックグラウンドを持ちビジネスに関わってきました。ビジネスが国際的にクロスオーバーするとき、架け橋となるのは様々なビジネスイベントだと経験を通して感じていました。オンラインイベントプラットフォームの存在は自分自身がビジネスをするときにも後押しになると思いましたし、これを推進することでグローバルビジネス活性化にも寄与できるという思いから、モチベーションが湧きました。

なるほど、各国のグローバルビジネスを推進していきたいというお気持ちともマッチした業態だったのですね。参考としているサービスなどはアメリカやイギリスであったのでしょうか。

参加申し込みがオンラインで出来るモバイルアプリ型のものが多かったです。特にアメリカは領土が広いので、当日諸事情で参加が出来ないといったことがコロナクライシス以前からよくあることでした。そのため、アーカイブが見れる機能も当たり前についていました。また、アメリカはサステナビリティへの意識も高く、紙を無駄にしないという理念からもイベントのオンライン化は進んでいました。EventHubは色々と試行錯誤した結果、Webブラウザ上のサービスとなっていますが、開発当初はそれらを参考にして設計をしていました。

地道なプロダクト開発と思いがけぬ資本参加

創業は2016年でしたね。実際に起業されてみていかがでしたか。

エンジニアである共同創業者と一緒に起業したのですが、彼も私も、やりがいやモチベーションは感じていたものの、イベント業界の出身者ではありませんでした。知見もなく人脈もない中、手探りな日々でした。市場環境としても、当時の日本はプロダクトのない状態で数億円調達できる時代でもありませんでした。例えば、数千万円をシード調達しても、数ヶ月でPMFまでたどり着けるかもわからない。業界初心者だからこそ、リーンにプロダクト開発をしながら長めの検証期間を持ちたいという考えから、二人とも別の仕事で生活費を稼ぎながら、補助金や融資で事業をスタートする形を取ったのです。コミットできる時間が限られる分、運営も最小のリソースで回していかなくてはならず、効率性についていつも考えていました。

ボードメンバーのリソースが初期で限られるのはなかなか大変ですね。その後は資金調達をきっかけに成長が加速したのでしょうか。

最初の資金調達は2019年で、現在のプロダクトをローンチしたのもその時期になります。最初のシード調達はSansanとセールスフォースの2社からでした。ありがたいことにいずれも先方からご連絡頂いてからのご縁でした。EventHubはオンラインイベントプラットフォームなので、イベントやマーケティング部門の方々に関心を持っていただくことが多いです。イベントで得た営業のリードをMA(マーケティング・オートメーション)やSFA(セールス・フォース・オートメーション)につなげていくことが多く、プロダクトとしてはマーケティングや営業のCRM領域が隣接しているのですが、お声がけいただいた2社はご存じの通りその領域のBtoB SaaSを展開されており、まさにシナジーのある提携となりました。

シード期が最もつらく、著名投資家がラウンドに参加してくることで徐々に調達が楽になっていくという話をお伺いすることはあるのですが、シード期から好調なスタートということで羨む起業家も多いかもしれませんね。

順調というより、自己資金と融資で長い期間を乗り越えたからの結果だったと思います。弊社の場合はプロダクトも存在し、数十社のユーザーがいた状態で初めて調達をしたので、いわゆるプロダクトを開発する前のシード調達とは少々違うかもしれません。初めての資金調達は、ありきたりな表現ですが「ドキドキ」しました。プロダクト開発やビジネスの多くの意思決定はは可逆的なものが多く行きつ戻りつが利くわけですが、ファイナンスは投資契約書に署名をします。この決定がその後のすべてに響く不可逆なプロセスです。この意思決定はやり直せないのだというプレッシャーがありました。

ファイナンスは専門家を雇わずに、私が対応しました。私は日本に小学3年生までしかおらず、もちろん日本の法務や書類に慣れていなかったので、とても苦労しました。そのため悩んだらその都度、周囲に相談しながら進めました。挑戦でしたね。

コンフォートゾーンに甘んじずカバレッジを広げよ

学生時代はどういう方でしたか。

大学生活を謳歌していました!私が通っていた大学では1学期で4単位程度を取る人が多いのですが、私はとにかく一つでも多く学びたくて、単位を多めに取得しダブル・メジャー(専攻を2つ採ること)としていました。アメリカでは生徒がサマーインターンに行くことが多く、プログラムも豊富にありましたので、私も例に漏れずにインターンに参加していました。数週間から数ヶ月単位までのプログラムがあり、アメリカ以外で開催されるものもありました。

私は、中国の孤児院で2週間プロボノ(ボランティア)をしたり、香港のモルガンスタンレー証券や東京のゴールドマンサックスでインターンをしたりしました。夏はほぼ仕事をしていましたね(笑)。

投資銀行のインターンをされていたのであれば、そちらからも新卒時のオファーレターを受領されていそうですね。入社先をマッキンゼーに決められたのは何か理由があったのでしょうか。

オファーはまさに投資銀行とコンサルティングファームの両方からいただきました。投資銀行では金融のスペシャリストとしてキャリアを歩むことになります。その先に待つのはファンドでのキャリア、または事業会社であっても財務・ファイナンス系の仕事など、ある程度既定路線が存在すると思っていました。当時の私は、まだ金融のキャリアを歩みたいという明確なビジョンはなく、ビジネスを幅広く見てみたいと考えていたので、マッキンゼーへの入社を決めました。

そうだったのですね!コンサルティングファームでは様々なインダストリーの案件があるかと思いますが、どういったお仕事を経験されていたのでしょうか?

ゼネラリストとしての採用でしたが、私は主に医療、製薬、公共政策、ITなどを担当させていただきました。どれをとっても興味深い案件ばかりでした。一方で、私はずっと「グローバルに働いていたい」という気持ちを抱いていたのです。私が担当していた案件は、日本人から見ればアメリカというグローバル案件ではありますが、それらはアメリカ特有のガラパゴス化なものだと感じていました。もっと各国が連携する案件であったり、自分にとって第二の母国となる”海外”の案件に触れたいと考え、出向を検討しました。

ご自身が成長するために、留意されていることは何かあるのでしょうか。

「コンフォートゾーンに滞留せずに挑戦し続けること」です。人間とは慣れていく生き物なので、意識をしないと基本的には自分にとって快適な状況になっていくのですね。私の場合は、常にあえて難しいと思われる選択肢を選ぶことを意識しています。アメリカで就職するときも、アイビーリーグ(アメリカのトップ大学)を卒業すればコンサルティングファームや投資銀行のポストは当然のように見えてくるものですが、既定路線に甘んじずに自分のカバレッジを広げようと、今までにない選択肢を取ろうと考えました。

これは、ご自身が日本国外で育たれたことも何か影響しているのでしょうか。

やはり小学3年生で突然アメリカの学校へ転校した経験は大きいと思います。国籍や文化の異なる国に放り出されると、適応能力というのは身につけざるを得ないですよね(笑)大学時代は国際寮に入っていたのですが、全員が違う国籍と言っていいほどの環境で日々ダイバーシティに触れ、狭い視野でいていいのかという自問自答もありました。

プレシードからシード期のスタートアップに向けて応援メッセージを。

芽が出ない時期というのはどうしても訪れます。しかし成功の可能性は、創業者がどこまで諦めず続けられるか、楽しむか、目的意識を持ち続けられるかで大きく広がります。自分がパッションを持ってさえいれば、例え資金調達を断られ続けたとしても、大きな目標に向かって走り続けられるはずです。また、様々な意見や助言をいただくことがあると思いますが、最後は必ず自分の意思、気持ち、判断を大切にしてください。

私はアメリカから日本に帰国した当初、居心地の悪さを感じていました。しかし、今は本当に住みやすく食事も美味しく、こんなに豊かで安全な国はないと感じるようになりました。既に私とってのコンフォートゾーンだと感じています。だからこそ挑戦しなければならないと考えています。最近リリースもさせていただいたのですが、3月、EventHubは海外へ進出しました。まずはオーストラリアとニュージーランドでの展開を開始します。グローバルビジネスを推進したいという思いを実現すると同時に、日本からのグローバル進出のロールモデルになれればと考えています。

まさに日本発のグローバルスタートアップ代表、ですね。ありがとうございました!