多くの企業で制定されている、就業規則などの社内規程。これらの作成や改定には、体裁の調整や根拠となる法令の確認などに多くの時間がかかり、携わる担当者や社会保険労務士にとっては煩雑さや非効率さを大きく感じる業務だ。
そんな規程業務の効率化を実現するクラウドサービスを開発・提供するのが株式会社KiteRaの植松 隆史(うえまつ・たかし)氏だ。今回、植松氏にインタビューを実施。社内規程管理クラウド「KiteRa」の概要からサービス成功のポイント、「まだどこにも語ったことがない」という創業時の苦労にまつわるエピソードまで、深く掘り下げて語っていただいた。
企業と社労士の社内規程業務を効率化するクラウドサービス「KiteRa」とは
まず、KiteRaの事業概要を教えてください。
弊社は社労士事務所や事業会社を対象とした社内規程管理クラウド「KiteRa(キテラ)」の開発・運営を行っています。社労士事務所向けには「KiteRa Pro」、事業会社向けには「KiteRa Biz」を展開。それぞれに規程の作成や体裁の編集、データ管理、電子申請などの機能を搭載し、規程業務の中で社労士や企業の担当者が煩雑に感じていた部分を効率化できるサービスとして提供しています。
「KiteRa Pro」と「KiteRa Biz」は連携が可能で、社労士事務所と顧問関係にある企業がともに「KiteRa」を使って規程を管理することもできます。現在は350社を超える事業会社と、1,700社を超える社労士事務所に導入いただいています。
社内規程にまつわる業務には、これまでどのような課題があったのでしょうか。「KiteRa」が必要となる背景について、詳しく教えていただけますか?
まず大前提としてあるのは、社内規程の作成・管理は法律の制約を受ける業務だということです。専門知識や一定の経験が必要で、業務に携われる人は限られます。また、分からないことや曖昧な部分がある場合には、必要な情報をしっかりと調べたり、確認する時間も欠かせません。そういった調べものに費やす時間は、想像以上に大きなコストとなっていました。
さらに、規程は、法律の条文のようにきちんと整った体裁でまとめる必要があります。しかし、インデントを整えたりといった「体裁を整える」作業は、通常の文書作成ツールで行うとかなり煩雑です。あまり本質的ではない作業で、業務時間の大部分が削られてしまうといった事態も起きていました。
そして実は、こうした規程業務の煩雑さは、非常に多くの企業が感じているものでした。というのも、社内規程の一つである就業規則は、従業員数10名以上の企業であれば必ず作成し、所轄の労働基準監督署に届け出なければなりません。従業員数10名以上の企業は全企業の約25%、数にして44万社ほど存在しています。規程業務の市場は一定の規模があり、その中には数々の課題が眠っている状態でした。
植松さんはそうした課題や市場規模に、どのタイミングで、どのようにして気がついたのでしょうか。
社内規程業務が抱える課題に気がついたのは、私が前職で人事労務や経営企画、IPOを目指した内部統制の構築に携わり、社内規程の作成や管理業務に従事していたからです。「KiteRa」で解決したいペインは、私自身が原体験として感じていたものでした。
事業アイデア自体も前職時代に思いついており、実は会社の新規事業として、プロダクトの完成直前までプロジェクトを進めていたものでした。
中止判断が下された社内新規事業を買い取り、KiteRaをスタート
そうだったのですね。そこからなぜ、独立・起業して「KiteRa」をリリースすることになったのでしょうか?
会社の状況が大きく変わり、社内の新規事業としての継続が難しくなってしまったからです。
私が新規事業を進めていたちょうど同じタイミングで、会社が上場に向けた準備を行っていました。私自身も内部統制の観点から上場準備に携わっていたのですが、結局は、上場を前にして別の企業に買収されることになってしまって。その結果、買収元との事業シナジーが不透明になり、私たちが行っていた新規事業は中止の判断となりました。私や関わったメンバーとしては「ここまでやってきたのだから、世の中にサービスをリリースしたい」という想いがあり、会社にも新規事業を継続させてもらえるよう交渉を続けたのですが、社内での事業化の可能性はほとんどゼロに近い状況でした。
そのような中で思い至ったのが、自分たちで会社を興し、プロダクトをリリースするという選択肢です。プロジェクトに関わってきたメンバーなど周囲からの後押しもあって、最終的には私を含め、一緒に新規事業を進めてきたメンバーと創業することを決意。2019年4月にKiteRaを起業しました。
企業に長く勤めてきた植松さんが起業家へと転身したことで、創業直後はいろいろと大変なことも多かったのではないでしょうか。
たしかに、大変なことや分からないことだらけでした。起業前の20年間はサラリーマンとして生活をしてきましたから、企業経営などやったことがないわけです。そもそも会社設立に必要な手続きも分からないことばかりで、法務局に法人登記の仕方などを確認しにいったくらいでした。
そこから必要な情報を一つずつ調べたり、確認したりすることで、なんとか無事に会社を設立することはできたのですが、最も大変で、すぐに解決できなかったのが運転資金の確保でした。というのも、私たちは前職で開発していたプロダクトを買い取る形で起業しました。金額としては数千万円で、当然一括で買い取ることができなかったので3年程の返済期間を設定し返済する契約を交わしました。当初から多額の返済期日を意識しながらの事業スタートであり、事業運営の難しさや精神的なプレッシャーもありました。
創業直後から立ちはだかった「資金確保」の大きな壁
創業直後から、大きな壁が立ちはだかったのですね。
そうなんです。その上、創業間もないころの資金調達は、これ以上ないほど難しいものでした。
まず、銀行に借入をお願いしても、売上もなければ、担保となるものもなかったため、どこもかしこも断られてしまいました。そこで、色々と調べてたどり着いた複数のピッチイベントに出場してみたのですが、全く振り向いてもらえない状況が続きました。さらに、VCに出資のお願いを直接ご連絡しても、お返事をいただけたのは十数件に1件ほど。その1件にわずかな望みをかけ、キャピタリストへ必死にプレゼンをしても、最終的には「実績が出てから、また来てください」と断られてしまう始末でした。
資金調達がなかなかできず、売り上げもほぼ無いなか、資金だけはどんどん出ていきました。買い取ったプロダクトの返済期日も刻々と迫ってきます。今では笑い話ではありますが、サラリーマン時代に20年間コツコツと貯めてきた貯金がみるみる減っていく経験はなかなかしびれました(笑)。
住宅ローンの返済や子どもの養育費など、普通の生活を維持するためのお金も足りなくて、妻には「あと1ヶ月あれば資金調達できるから」と話しつつ何とか耐えていました。
いよいよ自宅の引っ越しも視野に入れなければならないと考えていた矢先、創業メンバーの一人から「植松さん、もうこんな状況で続けるのは無理だよ。いったん事業を中断して、いつか再開できるチャンスを待とう。それまでは日銭を稼ぐなりして再起が図れるようならまた集まってやろう」と提案がありました。その言葉が創業メンバーの口から出たとき、メンバーに不安を与えてしまっている状況は良くない、これはいよいよ潮時だなと感じました。
その後、新大久保の小さな会議室に集まって、ひざを突き合わせて数時間ほど今後の進退について話し合ったんです。そこで出した結論は「事業をやめる」というものでした。
撤退を考えたタイミングで手にした、起死回生の奇跡
現在順調に拡大を続けているKiteRaは、一度撤退を考えていたのですね……!
そうなんです。3人で「またいつか、再会できるチャンスがあったら集まろう」と約束して、KiteRaを解散することに決めたんです。
でも、人生はどうなるか分からないものですね。そうやって撤退の決断をしたタイミングで、また大きな転機が訪れました。
3人で話し合いを持つ前に申し込み、書類審査も通っていたインキュベイトファンドの「Circuit Meeting」に辞退の連絡をしたところ、当時インキュベイトファンド側の窓口としてやり取りしてくれていた日下部さん(現・DRG Fund General Partner)が「不参加と言わずに、チャンスがあるかもしれないからぜひ出てほしい」と背中を押してくださって。日下部さんがそう言うならと、私一人でイベントに参加しました。内心は「もう解散するから、出る意味なんてないのにな」と思いながらピッチを行ったところ、なんとその場で、3社から出資のオファーをいただくことができました。
絶望的な状況から、一気に道が開けていった……。なんというストーリーでしょう。
私も当時、頭が真っ白になるほど驚きました。今回のイベントもなしのつぶてだろうと思っていたので、出資のオファーをいただいたときは、ピッチで使ったパソコンなどを全部カバンにしまって、さっさと帰ろうとしていたところだったんです。
あまりに予想外の展開だったため、3社から出資金額や条件について資料をいただいても、全く頭に入らなくて。一度持ち帰って検討させてくださいとその場ではお伝えして、すぐに帰宅し、創業メンバーにチャットで出資が決まりそうな旨を知らせました。
でも、3時間ほど経って返ってきた返事は「嘘ですよね」というもの。メンバーも半年ほど苦しい時期を経験していたので、あまりの急展開に、出資のオファーを信じることができなかったのです。そこから私がいろいろと説明をする中で、状況を理解してくれて。最終的にライフタイムベンチャーズの木村さんにお世話になり、4,000万円を出資していただくことができました。
4,000万円あれば、6ヶ月は事業継続が可能でした。そこで、それまではシェアオフィスを借りていましたが、今度こそは事業を成功させたいと、決意を込めて小さなワンルームのオフィスを借りることに決めました。1階の飲食店から常に匂いが漂ってくるような部屋でしたが、家具量販店などで壁紙や小物を買い、当時全部で4人に増えていたメンバーの写真も飾って、自分たちにとってなるべく心地よい空間になるようにアレンジしました。その当時使っていた小物は、初心を忘れないためにも、現在のオフィスにも飾っています。
そこからは順調に拡大を?
そうですね。2020年以降はトントン拍子に成長することができました。本当に爆速で進んできたので、今日までの約3年半、ほとんど記憶がありません(笑)。
事業がここまで急成長できたポイントは、どこにあると分析していますか?
サービスをリリースし、社労士の先生の利用が増えてきたころに、すべてのリソースを一度「KiteRa Pro」に振り切ったことが功を奏したと考えています。社労士の市場は小さいからと切り捨てるのではなく、むしろプロに満足していただけるプロダクトをつくろうとしたことが、結果として「KiteRa」のファンを広げ、多くの社労士事務所と企業に使っていただけるサービスへと成長させることができたのだと思います。
KiteRaの継続率は「99.4%」と驚異的な数字を叩き出していますよね。この秘訣は、どこにあるのでしょうか。
社内規程業務において、多くの方が困っていた部分を解決できるプロダクトを作れたという点に尽きると思います。自分自身が原体験として感じていた課題があり、それが他の方にとっても再現性のある課題だったと確信しています。継続率がこのような数字になったのは、そういうことの表れなのかなと捉えていますね。
IPOを実現し、苦しい時代を支えてくれたVCや社員への恩返しがしたい
非常にドラマチックな創業ストーリーを持つ貴社ですが、現在の組織の規模と社風についても教えていただけますか。
弊社は現在、約90名の従業員を抱えるまでに成長しました。社風としては、真面目で誠実にお客様や仕事と向き合っているメンバーが多いです。お互いにリスペクトしながら、しっかりと人間関係を築いていく雰囲気があると思います。
とはいえ、今後は組織の多様性をさらに広げたいと考えています。弊社のカルチャーへの共感は前提としながらも、さまざまな考えやアイデアを持つ方に参画していただけたらと思っているところです。異なる意見も受け止めて、それを咀嚼して自分の考え方に落とし込んでいける。そんな度量のある組織でありたいと思っています。
直近の資金調達についても、ぜひ所感をお聞かせください。2022年4月に資金調達をされていますが、このときの調達はスムーズでしたか?
2022年に行った資金調達はフォローオン投資だったこともあり、シード期の資金調達よりもかなりスムーズに進めることができたように思います。実績をしっかりと出すことができ、事業が着実に成長している点を、どの投資家さんからも評価していただくことができました。
今後の展望を教えてください。
現在は社内規程領域に特化しておりますが、当社の今後としては私の原体験である内部統制やガバナンスをシステムでサポートできる、そんなプロダクトと世界観を実現していきたいと考えています。
例えばですが、J-SOXに関連する分野もスコープに入ってくると思いますし、広く捉えるとISMSやPマーク等の領域もガバナンスに関わってくる領域として有望と考えています。こうしたドキュメントは社内規程とも相互に影響しあうため既存事業とシナジーもありますし、我々がそういったことを手掛けていくことで、日本の内部統制・ガバナンスの底上げに繋がると確信しています。
まずは社内規程という領域から事業展開を進めて、最終的には内部統制を司るシステムに昇華させ、コーポレートガバナンスを強化する基盤インフラの構築を実現していきます。
そういったビジョンを実現するために数年以内にIPOを考えています。IPOを実現することでより柔軟な資金調達を行うことができますし、ガバナンス・内部統制領域を手掛ける当社がIPOを実現することで、展開している事業の説得性も増すと思っています。
IPO自体は会社としてはゴールではなく手段ですが、IPOをすることが、苦しい時代に手を差し伸べ、支えてくださったVCのみなさんへの恩返しにもなると思いますし、私個人としても前職時代に叶えることができなかった上場に、改めて自分の会社で挑戦してみたいという気持ちもあります。
また、IPOの経験は、弊社にリスクを取って入社してくれた社員のみなさんにとって一生ものの財産になると考えています。もし仮に弊社を辞める日が来たとしても、創業期から上場までの期間を過ごしたことは、貴重な経験としてきっとどこかで活かすことができるでしょう。私は、お金で買えないものにこそ、大きな価値があると考えています。キャリアの礎となるような経験の機会をつくることが、私にできる唯一の、社員のみなさんへの恩返しだと思っています。いつか必ず、IPOを実現させたいです。
プレシード・シード期のスタートアップに向けて、応援メッセージをいただけますか?
まず一つお伝えしたいのは、諦めないほうがいいということです。もし何かうまくいかないことがあるのだとしても、諦めずにやり方を変え、次につながる方法を最後まで探してみてください。「諦めも肝心」というアドバイスを耳にすることが多いものですが、先ほどもお話したような経験をしてきた私としては、みなさんに「コードを書き続けている限り、死にはしない」という言葉を贈りたいです。諦めずに、粘りに粘ってギリギリまでやってみたらいいと思います。
今の時代、起業に大きなリスクはありません。私が起業したのは42歳のときですが、リスクヘッジも意識しながら事業に取り組んできたことで、ここまでやってくることができました。たとえ大コケしてしまったとしても、命を取られるわけではありません。高い目標を掲げ、そこに対して一歩踏み出した瞬間に成功までの道のりの50%を達成できています。残りの50%は、一歩踏み出せた方であればほんの少しの努力に感じるはずです。何か情熱を持って取り組みたいテーマがあるのなら、ぜひそこに全力を注いでみてください。
最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。
これは私自身が驚いたことでもあるのですが、スタートアップ業界は非常に変化が激しい世界です。そのため、スタートアップへの転職は、人によって向き不向きがあるように思います。もし転職を迷っている場合は、ご自身のパーソナリティや特性をよく自己分析した上で、最終的な決断を下すほうがいいと思います。会社が変化することを成長の機会と捉え、心から楽しめる方であれば、スタートアップの世界で大きく活躍していただけるのではないでしょうか。
注目記事
新着記事
防災テックスタートアップカンファレンス2024、注目の登壇者決定
大義と急成長の両立。世界No.1のクライメートテックへ駆け上がるアスエネが創業4年半でシリーズCを達成し、最短で時価総額1兆円を目指す理由と成長戦略 Supported by アスエネ
日本のスタートアップ環境に本当に必要なものとは?スタートアップスタジオ協会・佐々木喜徳氏と考える
Antler Cohort Programで急成長の5社が集結!日本初となる「Antler Japan DEMO DAY 2024」の模様をお届け
世界を目指す学生が集結!Takeoff Tokyo 2024 VOLUNTEER TRAINING DAYの模様をお届け