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数々の挑戦と失敗を経てたどり着いた、腹を据えて向き合える事業ドメイン。メンテモ・若月佑樹氏の創業ストーリー

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自らの手でスタートアップをやるということは、人として大きく成長する機会を得ることでもあるのかもしれない⸻。

そんなことを感じた今回のインタビューは、株式会社メンテモ代表・若月 佑樹(わかつき・ゆうき)氏に話を伺った。若月氏は現在、自動車整備店舗や鈑金工場など、自動車修理の依頼先を手軽に探せる検索・予約サイト「メンテモ」を運営している。今でこそ山梨県に本社を置き、安定して事業を伸ばしているが、約7年前に創業した当初はトラクションの取りやすいサービスを追い求めすぎたばかりに、事業はことごとく失敗。中高時代の友人を含む三人の創業メンバーが、チームとして瓦解する事態を引き起こしてしまった。

そうした「どん底」の時期を経験したことで、覚悟を決めて向き合えるドメインを発見した若月氏は今、次の未来を見据えている。若月氏はこれまでどのような道を歩み、これからどこへ向かおうとしているのか。詳しく語っていただいた。

自動車修理の依頼先を手軽に探せるWebサービス「メンテモ」

改めて、メンテモの事業内容を教えてください。

弊社は、社名と同じ「メンテモ」という名の自動車特化のWebサービスを運営しています。これは、自動車修理の依頼先を探せる自動車整備店舗、鈑金工場、ガソリンスタンドの検索・予約サイトで、サービス内容を例えるなら、自動車版の「食べログ」「ホットペッパービューティー」だと思っていただけると分かりやすいかもしれません。

この事業を柱としつつ、そこに付随して掲載企業のWeb制作支援やITまわりのコンサルティングなども行っています。

Credit:株式会社メンテモ

メンテモに掲載する自動車整備店舗は、貴社がピックアップしているのですか?

そうですね。弊社から全国各地の自動車整備・修理店舗や鈑金工場、ガソリンスタンドにお声がけしながら、昨今車体への搭載が主流となっている自動車の電子制御装置についても整備可能な、「自動車特定整備認証」という資格を持った店舗場を中心に掲載しています。

自動車整備店舗や鈑金工場と聞くと、ディーラーの下請けで仕事をしているイメージがあります。ToC向けの認知獲得に課題を感じているところも多いのでしょうか。

多いですね。これからの時代は下請け仕事だけでなく、一般の自動車ユーザーから修理依頼を受けることも重要だと考えている工場や店舗が増えています。ToCの認知を獲得し、お客様の層を広げていきたいというニーズは着実に高まっていて、まだ見ぬお客様にアプローチする方法を探しているというところも多いです。

メンテモの事業アイデアが生まれたきっかけを教えてください。

最大のきっかけは、2020年の初めに私が自分の車を買ったことです。私は山梨県出身なのですが、当時は上京して都内でスタートアップをやっていました。車で困ったことがあったとき、地元の山梨では鈑金工場を営む祖父にお願いすれば解決できましたが、都内ではそうはいきません。修理の依頼先を探そうにも、車を購入したディーラーくらいしか思いつきませんでした。自動車整備店舗や鈑金工場を簡単に探せるサービスがあればと思ったことで、メンテモの原型となるアイデアが生まれたんです。

あとは、物心ついたときから車が好きだったことも、このサービスを始める大きな理由の一つになりました。自動車という製品は、機能性も競技性も、デザイン性も兼ね備えた、ほかにはない工業製品です。本当に面白い存在だなと感じていて、個人的には、古いものも含めて多様な車を後世に残していきたいと考えています。古い車を未来に受け継ぐためには、しっかりとした整備が欠かせません。難しい内容の整備でも、柔軟に対応可能な整備店舗を探すことができたら、きっと後世にさまざまな車を残せるはず。そんな想いも、メンテモに込めています。

圧倒的な行動力で「自ら稼ぐ」を実践し続けた中高時代

「メンテモ」の前にも事業をやられていたのですね。

そうですね。アメリカの大学に一瞬だけ在籍した後、やはり自分で稼ぐ道に進みたくて、2017年9月7日に自分の会社を創業しました。

それはすごい熱意です。子どものころから起業志向があったのでしょうか?

サラリーマンとして働く感覚は全く持てていませんでした。というのも、私の家族はみんな、自分で何かしらの事業をやっていたので。母方の祖父は鈑金工場、父方の家族は宝石商を営んでいて、サラリーマンが一人もいない家庭に育ったんです。事業規模の大小は問わず、自分で商売をやりたいという意識はすごく小さいころから頭の中にありました。

なので、中学、高校時代は、お金を稼ぎたいという気持ちが人一倍強い学生でした。当時はフリマアプリが伸びていた時代だったので、中国からスマートフォンのアクセサリーを安く仕入れて、オンラインで売って利益を得るというスモールビジネスも友人と一緒にやってみたことがあります。

プログラミングができたので、自分でアプリをつくってみたり、開発の仕事を請け負ったり、甲府駅前の広場でイベントを開催したり、今振り返ってみると、本当にいろいろなことをやってきましたね。もちろん、失敗することもありました。それこそ甲府駅前でのイベントは、本当に目も当てられないほどの大赤字を出してしまって……(笑)。

なんと(笑)。 どのようなイベントだったのか気になります。

音楽フェスのようなイベントを開催しました。その目的は、友人たちと立ち上げたオリジナルブランドの洋服の在庫処分。オンラインで洋服をつくって販売したのですが、全く売れずに在庫ばかりが積み上がってしまって、途方に暮れていたときに即売会のようなイベントを開催することを思いついたんです。

それで、甲府駅前の広場を高いお金をかけて貸切って、集客力のある高校生バンドを呼んで演奏してもらいつつ、焼きそば屋やクレープ屋などのお店も5~6店舗ほど出店してもらいました。その一角で、自分たちは服を売るという。

非常に行動力のある高校生だったのですね。

いわゆる「意識高い系」だったと思います。私の住んでいた甲府市は人口が20万人ほどの小さな町なので、とても珍しいタイプの子どもだったのではないでしょうか。自分のような人があまりいない環境で育ったからこそ、若気の至りでとても青臭いことを考えていました。アメリカの大学に進学することを選んだのも、自分の実力のことは棚に上げて、「とんでもなく天才的な人材がいる場所に身を置きたい」「ITの本場かつビジネスがめまぐるしく動いているアメリカで自分を試してみたい」と、大それたことを考えていたからです。

しかし、アメリカの大学はすぐに中退されたのですよね?

そうです。アメリカの大学は入学時期が夏のため、入学までの間、ドローンを手がける創業1年程度の日本拠点のスタートアップでアルバイトをしていました。そこでの経験が本当に刺激的で面白かったがゆえに、大学で4年もの時間を過ごすのがもったいなく思えてしまったんです。基本的にせっかちなんですよね(笑)。

ToCサービスで創業するも、失敗続きで創業チームが瓦解。「どん底」の時代を経験

アルバイトをしていたスタートアップでは、どのような仕事を経験したのですか?

プログラムを書くことから、ドローンを使った撮影ロケへの同行、撮影アシスタントまで、本当になんでもやりました。高校の授業が終わった2月末ごろから、大学に入学する8月までの間、山梨から上京して、会社が借り上げてくれた六本木のアパートで暮らしながら朝から晩まで働いていましたね。憧れていた東京で、好きな仕事を自由にできる。本当に楽しかったです。失敗することもありましたが、結果が出ればその成果を褒めてくれる代表だったので、学校よりも楽しく感じたんですよ。

私は、学校の中でルールをきちんと守りながら、みんなと足並みをそろえて行動することが非常に苦手で。自由に行動できて、成果が出れば評価され、ダメなときは叱られるというストレートな環境が肌に合うなと感じました。アメリカに行く直前には、こんなに面白いのなら、スタートアップを自分でもやってみたいと思うまでになっていましたね。

そこから、2017年9月にご自身の会社を起業されたと。

そうです。このときに創業した会社を名前を変えて維持していますので、弊社は今年で7期目です。

最初はどのような事業を手がけていたのでしょうか?

創業当初は、ToC向けのサービスを立ち上げていました。マップベースの食べログのようなサービスからVR事業、匿名チャットアプリまで、いろいろと変遷してきましたね。でも、どれもうまくいかなくて。その結果、創業メンバーが私のほかに二人いたのですが、彼らとのチームを解消する事態にまで陥ってしまいました。

見据えるビジョンや方向性の違いから、チームを解散する選択を?

いえ、ひとえに事業がうまくいかなかったことが原因だと思います。創業したてのスタートアップには、魔法のようなものがかかっているんです。事業がうまくいっていなくても、無限に働けるし、常に前を向いていられる期間があるというか。それが会社によって1年だったり、2年だったりするんですけど、弊社の場合は2年ももたなくて。事業がうまくいく兆しが全く見えなかったことで、だんだんと創業メンバー間の溝が深まっていきました。

最初に一人が会社に来られなくなり、退職を願い出ると、もう一人のメンバーも「三人で成功できないなら」と会社を辞めることになって。結果として私だけがこの会社に残り、今に至ります。

何度やっても事業はうまくいかず、組織も瓦解した。そのときに受けた精神的なダメージはかなり大きなものだったと想像します。

事業がうまくいかなくなってから、自問自答を繰り返しましたね。起業前に自分で商売をした経験があるといっても、自分の暮らしがかかっているわけではなく、単純に小遣い稼ぎの一環でしたから。いざ自分が暮らしをかけて事業をやるとなったとき、そのレベルは高校時代の商売経験とは大きく異なりました。自分は何のためにこの会社をやっているんだろうと、答えの出ない問いを何度も考えました。人は、うまくいかないときほど、逃げ道をつくりたくなる。私の場合、その逃げ道の形の一つが、自問自答だったのだと思います。

そうした状況から立ち直り、再び経営と事業創出に向き合えるようになったのは、何かきっかけがあるのですか?

きっかけは何個かありますが、最も印象に残っているのは株主からの言葉かもしれません。事業に失敗し、創業メンバーが去っていくことが決まったとき、心の底から疲れ果てていた私は、会社を畳もうと思っていました。そのため、株主に廃業する意向であることを説明して回ったところ、そのうちの一人が「ここで辞めるのは違うと思う。続けるほうが、あなたの人生にプラスになるはず」と厳しく指摘してくださって。

その言葉を聞いて、精神的にボロボロだった当時の私はめちゃくちゃ衝撃を受けてしまったのですが、少し時間を置いて冷静になってみると、不思議と「それもそうだな」と思えてきました。そこで、会社を継続することに決めて、せっかくならここまで頑張ってきた自分を一度くらい甘やかしてあげようと、大好きな車を購入したんです。

事業アイデア発想のきっかけにつながってくるわけですね。

そうなんです。それが2020年2月ごろの話で、そこから比較的すぐに事業アイデアを思いついて形にし始め、2021年に入ってから「メンテモ」を正式にリリースしました。

好きなドメインだからこそ、腹を据えて事業と向き合えている

「メンテモ」は、約3年続く事業となっています。過去に失敗した事業と比較して、今日まで継続できているポイントはどこにあると考えていますか?

腰を据えて事業と向き合えているかどうか、だと思います。一朝一夕に成果の出る事業などほとんどないにも関わらず、創業当時の私はいち早くトラクションの出るサービスばかりを追い求めてしまったんですよね。

「メンテモ」は、自分の好きなドメインで事業をやっていますから、これからも意地でも続けるつもりです。このドメインで続けられなければ、ほかの領域で事業をやるのは難しい。30年でも、50年でも続けたいと思っています。

ところで、なぜ本社を山梨県に置いたのでしょうか。

立ち位置を少しずらして戦いたいと思ったからです。東京には私よりもはるかに優秀な経営者がたくさんいます。それに、すばらしいスタートアップもたくさんあります。そうした企業と肩を並べて同じ土俵に立っても、勝てない可能性が高い。であれば、あえて会社の絶対数が少ない地元の甲府市に本社を置いたほうが、何かと好都合なのではないかと考えたんです。それこそ、人材採用の点でいえば、東京にはたくさんのスタートアップがありますから、人材の定着が難しくなりがちですが、甲府であれば弊社に長く貢献してくれるメンバーを採用しやすいものです。

また、私自身が東京と物理的に距離を取りたかったこともあります。東京でスタートアップをやっていたころは、自分とほかの会社や経営者を比べてしまうことも多かった。山梨に本社を置いたのは、「よそ見をせずに事業に集中する」という意思の表れでもあるんです。

私たちのお客様は地方に立地していることが多いため、営業に行っても、より親近感を持って受け止めてもらいやすいという効果も実感しています。

地方にあるスタートアップは、資金調達がうまくいっているところが少ないとよく耳にしますが……。

資金調達の成功に、本社所在地はあまり関係していないように思います。資金調達がうまくいかない原因を因数分解してみると、単純に事業が伸びていないか、投資家との接点が少なく資金調達のハードルが高まっているか、営業力がないか、この三点が原因であることが多いからです。

弊社は山梨に本社がありますが、私はかなり頻繁に東京に出て、さまざまな人とお会いしています。資金調達のフェーズで投資家が投資を実行してくれるかどうかは、やはり人間の判断ですから、日頃接触している回数も影響してくるように思うんです。地方に本社があるかどうかは関係なく、起業家は投資家がいるところに足を運び、人に会う回数を増やすことが大切だと思います。

あとは、当然のことながら数字が伸びていなければ投資はしてもらえませんから、事業にしっかり集中して売り上げをつくっていくことが必要ですし、自社の魅力や強みを投資家に最大限伝えられるようプレゼン資料やトークをブラッシュアップしていくことも重要です。

地方で見える景色を大切に。地方企業の課題をデジタルで解決したい

今後、どのようなカルチャーの会社にしていきたいですか?

目の前の物事に対して、真面目にひたむきに頑張る。今弊社に所属するメンバーがつくり出してくれたこの雰囲気を絶やさずに、今後も受け継いでいきたいですね。ただ一方で、もう少し効率化を進めても良い部分があるため、そこは改善を加えながら、試すべきことに懸命に取り組む会社であり続けたいと思っています。

どのような方にジョインしてほしいですか?

弊社では、全員が全ての業務を担当するというスタイルで仕事をしています。なので、いずれ起業したい方など、あらゆる仕事を経験したい方にぜひ来ていただきたいですね。私もアルバイト時代、代表の隣で仕事ぶりを見させてもらったり、投資家を紹介してもらったりしたことが現在の糧となっているので、起業への意欲の高い方は弊社で総合力をつけてもらえると思います。

今後の事業展望をお聞かせください。

事業を通じて全国各地の自動車販売店やガソリンスタンドなどとコミュニケーションをとっていると、日本はまだまだデジタル化できる領域が多く残されているなと感じます。私はデジタルネイティブ世代でITを使いこなすことが当たり前になっていますが、日本全体を見渡せば、まだまだ従来のやり方で業務を進めているところも多いのですね。それこそ、書類を取りに行くためだけに本社から支社に訪れるというような、非効率な業務が発生している会社もあるわけです。

最近は、地方だからこそ見えるそうした景色を大切にしたいと思っています。地方の会社だからこそできる課題解決の形があり、そこがかなり面白い仕事になるのではないかと感じていて。SIer(システム インテグレーター)が入るほど大規模ではないけれど、それでも地方である程度の予算規模を持つオーナー企業のようなところに対して、業務効率化やオペレーション改善を半分スクラッチでつくっていくようなサービスも実現できればと考えています。

地方の人手不足など、さまざまな課題をデジタルの力で解決することができたら。現在は自動車に絞っていますが、いずれはレンタカーのシステムなど、車に関連した領域にも事業を広げていければと構想中です。

プレシード・シード期のスタートアップに向けて、応援メッセージをいただけますか?

弊社は今年で7期目に入りますが、紆余曲折、ときに挫折もあった中で、ここまで会社をやってきて思うのは、真面目にひたむきに取り組んでいれば、見える課題があるということです。

ビジネスの種となるような課題に出会うためには、「運」も必要です。そして、その「運」を自分に引き寄せるためには、行動量を増やすことが欠かせないと思っています。行動量を増やし、目の前の物事と懸命に向き合っていれば、光が見えてくるのかなと思います。

最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。

経営者目線でお話しすれば、スタートアップは浮き沈みの激しい業界です。メディアで取り上げられ、多くの人から注目を集めている会社でも、1年後は勢いが失われてしまったということがあり得ます。逆に、一見すると地味であまりうまくいっていないように見える会社が、実は裏で大きな成長を遂げていたということもよくあります。

スタートアップに転職したいなら、「勝ち馬に乗る」という考え方は捨てて、自分が勝ち馬を育ててやるくらいの気概が必要です。自分がこの会社の一員となって、良い方向に変えていこうというマインドを持てる方は、きっとスタートアップでも大いに活躍されると思います。弊社でも採用を何度も経験していますが、やはり活躍しているメンバーはみんな「メンテモを良くしよう」と考えている方が多かったです。今働いているメンバーもそうした意識を持っている人ばかりなので、そういう意味では、弊社はすごく良い状態にあるなと改めてかみしめています。