「スタートアップスタジオ」というものをご存知だろうか。
スタートアップスタジオとは、映画を製作するスタジオのように、新規事業創出に必要なリソースをすべて自分たちで保有し、蓄積してきたノウハウを活かして、スタートアップを同時多発的に生み出していく組織のことをいう。意外にも歴史は古く、仕組みそのものの始まりは1996年まで遡る。海外で生まれたこの手法は、2008年頃から勢いを増し始め、現在では日本にも20個以上のスタートアップスタジオが存在している。
今回、国内におけるスタートアップスタジオの認知向上や起業環境の改善に尽力する、スタートアップスタジオ協会 代表理事の佐々木 喜徳(ささき・よしのり)氏にインタビューを実施した。スタートアップスタジオの基本的な概念から、日本のスタートアップの展望まで、多岐にわたる内容を詳しく語っていただいた。
映画のように新規事業をつくる。スタートアップスタジオの仕組み
改めて、「スタートアップスタジオ」とはどのような存在なのか教えていただけますか?
スタートアップスタジオは、複数の新規事業やスタートアップを同時多発的に生み出し、それらを外部の投資家から資金調達可能なレベルまで育てていく組織です。
ハリウッドの映画スタジオをイメージしていただくと、少し分かりやすいかもしれません。ワーナー・ブラザースやウォルト・ディズニー・スタジオなど、皆さんも聞いたことのある有名な映画スタジオは、長年にわたってヒット作を何本も作り続けていますよね。彼らが魅力的な作品を生み出し続けられるのは、スタジオに監督や脚本家、カメラマン、演出家などの必要なリソースがすべてそろっており、「売れる作品」に関するナレッジも蓄積されているからです。スタジオのリソースとナレッジをフル活用して、1年に何本もの作品をつくる。その中から大ヒット作が生まれていく。こうした基本的な構造を、ハリウッドの映画スタジオは持っています。
スタートアップスタジオも、そのような映画スタジオのモデルとよく似た構造で、新規事業の創出と向き合っています。スタジオの中にエンジニアやデザイナー、マーケッターなどの必要なリソースをそろえ、過去に蓄積してきた新規事業のノウハウを惜しみなく使いながら起業家を支援する。その結果、大きく躍進するスタートアップが生まれていく。新規事業やスタートアップの成功確率を上げるために生まれたのが、スタートアップスタジオという存在なのです。
「新規事業やスタートアップを創出し続ける」という点でいえば、企業の新規事業開発やアクセラレーションプログラムも同じ趣旨の取り組みをしていますよね。スタートアップスタジオならではの特徴は、どのような部分にあるのでしょうか。
大きく三つの特徴があります。一つ目は、先ほども少しお話したように、同時に複数のスタートアップ創出に取り組むという点です。企業や個人が新規事業に取り組む際は、通常は一つの事業を立ち上げるのみになるかと思いますが、スタートアップスタジオは新規事業の創出を仕組み化したことで、一つの事業主体から年間にいくつものスタートアップを創出することができます。
二つ目が、投資をする前から起業家とともに事業アイデアを考え、検証し、事業化にたどり着くまでの道のりを支援するという点です。これはVCなどと明確に異なるポイントです。起業家としても一旦投資を受けてしまうと、事業化に向けてスピードを落とすことは許されませんし、失敗も許されませんが、スタートアップスタジオは本当に核心をついた事業が見つかるまで、何度失敗しても良い環境が整っているんです。いずれVCなどから投資を受けられるようなスタートアップを生み出すのが、スタートアップスタジオの使命の一つだと言っても過言ではないでしょう。
三つ目が、アイデアさえないような時期から事業立ち上げの資金を負担するという点です。スタートアップの創業期を「0→1」のフェーズとよく言いますが、スタートアップスタジオは、初回のエクイティ調達が可能なタイミングよりも前の段階から、費用面も含めて最初の事業検証の支援をします。事業立ち上げ期において「手厚い支援をしてくれるエンジェル投資家」のような役割を果たすのが、スタートアップスタジオだと捉えていただけると、あながち間違っていないと思います。
「スタートアップスタジオ」は、欧米ではかなり浸透した仕組みですが、日本ではまだまだ知らない方も多いかと思います。これから、日本でもスタートアップスタジオの存在が広がっていくと思いますか?
広げていきたいですよね。僕としては、スタートアップスタジオは日本にマッチした仕組みだと考えているんですよ。日本は諸外国に比べても開業率が半分以下で、スタートアップに挑戦する人はごく少数に限られています。大半の日本人が起業を諦めてしまうのは、多くの場合、起業に必要な資金が不足していたり、失敗リスクを恐れたり、起業に必要な知識や経験が足りないと本人が感じていたりするからです。しかし、スタートアップスタジオなら、先ほどもお話した通り、新規事業をやるうえで必要なリソースやノウハウはすべて揃っています。「0→1」に必要なコストも払ってもらえますから、失敗したときのリスクも少なく、アイデアとやる気のある人が起業に挑戦しやすくなると思うんです。
また、日本の場合は、大企業や中堅企業のアセットを使ったスタートアップ創出も考えられると思っています。業界に深く入り込み、その企業が持つ工場やネットワークといったアセットをうまく活用しながら、新しい領域の事業を生み出していく。そんなスタートアップスタジオのあり方も、これからの日本では増えてくるのではないかと期待しています。
設立から2周年を迎えた「スタートアップスタジオ協会」
佐々木さんは、2021年7月に「スタートアップスタジオ協会」を設立されました。改めて、スタートアップスタジオ協会の取り組みについて教えてください。
大きく三つの取り組みを行なっています。一つ目が、スタートアップスタジオの認知度向上を目的とした情報発信です。
二つ目が、企業や自治体と起業家との接点の創出です。例えば、各自治体や官公庁とともに、事業アイデアを創出するイベントなどを開催し、起業家と出会う場として活用していただいています。
三つ目が、スタートアップスタジオの裾野拡大です。日本には現在、スタートアップスタジオが20社ほどしかありません。難易度の高い事業体ではありますが、日本のスタートアップを盛り上げていくためには、スタートアップスタジオをもっと増やしていかなければならないと考えています。そこで、スタートアップスタジオに興味関心のある大手企業や中堅企業、自治体などとディスカッションを重ねながら、その企業や自治体ならではのイノベーションを興せるようなスタートアップスタジオの設立に向けたアドバイスなどに取り組んでおります。
そこから、2024年4月から東京都とスタートアップスタジオ協会との協定事業として、TIB STUDIO というインキュベーションプログラムも始まりました。
協会の設立にあたって、大変だったことは何かありますか?
大変だったのは、関係者間での方針やビジョンのすり合わせです。もともと、スタートアップスタジオ協会設立のアイデアは、スタートアップスタジオの運営に携わる各社のメンバーが共同でイベントを行ったり、お茶をして情報交換をしたりする中で自然発生的に生まれたものでした。
なにせ、当時は国内にスタートアップスタジオが20社程度しか存在していません。どのスタジオも、お互いに対して「競合だけれど、一緒に協力して業界を盛り上げていきたい存在」として認識していたんです。お互いに「一緒にイベントやろう」「イベントを共催するなら、いっそのこと協会をつくろう」と、とんとん拍子に話が進み、誕生したのがこの協会です。
ただ、やはり一つの組織として動くためには、全メンバーが同じ方向を見る必要があります。何のために、どのような方針で協会を運営するのか。この点は、今でも定期的にディスカッションを重ねて、関係者の目線がバラバラになってしまわぬよう気をつけています。
協会の設立から2周年を迎え、本格稼働から約2年が経とうとしています。今日までの反響や実績は、いかがですか?
特に大きな実績としては、東京都と連携を強化できていることが挙げられます。学生のうちから起業家を目指してもらうための施策など、日々さまざまなテーマで情報交換やディスカッションなどを行なっています。
また、会員になってくださった事業会社の中で、当協会のアドバイスなどをもとに実際にスタートアップスタジオを立ち上げた企業も誕生しました。さらに2023年7月には、東京都スタートアップフェローにも就任し(※)、スタートアップを生み出すゼロイチフェーズについての支援について、アドバイスなど行っております。
スタートアップスタジオ協会として、新規事業の成功確率を高めるための取り組みも行なっていると伺いました。具体的にどのようなことを実施されているのですか?
スタートアップスタジオを運営する担当者が集まり、情報交換できる場をつくっています。起業家との向き合い方や事業検証の仕方など、関連するノウハウを共有し合い、特に事業の検証方法についてはディスカッションを重ねて日々ブラッシュアップしています。スタートアップを生み出すためのノウハウが進化していく、非常に良い場になっていると思いますね。
Photosynthのプロダクトは、スタートアップスタジオ式で誕生した
ところで、佐々木さんは2007年にガイアックスに参画し、スタートアップスタジオの責任者として、起業家支援や投資判断を担当されてきたのですよね。
そうですね。ガイアックスとしてスタートアップスタジオを立ち上げる前から、起業家への支援などを行なってきました。
これまで支援してきたスタートアップの中で、特に印象に残っている企業はありますか?
まだスタートアップスタジオをつくる前の話なのですが、現在は東証グロース市場への上場企業となっている株式会社Photosynth(フォトシンス)を支援した経験は、その後のスタジオ設立のきっかけにもなったので、とても印象に残っていますね。当時、僕もPhotosynthの創業メンバーが事業のアイデア出しをする様子を間近で見ていて。まさにスタートアップスタジオらしい進み方で事業が出来上がっていったんです。
いろいろなアイデアをミニマムで試しては失敗して、また新たなアイデアでPoCを繰り返して……と試行錯誤を重ねる中で発見したのが、「鍵を開けるのがめんどくさい」「鍵をなくしたら一大事」という課題でした。この課題を解決するために生まれたのが、現在Photosynthの手がけているスマートロック「akerun」です。「akerun」はMVPの段階からメンバーが確信を持っていたプロダクトで、構想が定まった瞬間からサービス化に向けて加速していきました。
たしかに、スタートアップスタジオらしい事業創出のエピソードですね。そうした経験をこれまで多数積んでこられたからこそ、佐々木さんはスタートアップスタジオ協会理事という立場でも活躍されているのだなと改めて感じました。
日本のスタートアップを盛り上げるために必要なこと
起業家がスタートアップスタジオを利用するメリットは、やはりPhotosynthの事例のように、一つの答えにたどり着くまで何度でも失敗できる環境があるという点に尽きるのでしょうか?
それもありますが、起業家にとって本当に切実な問題意識や「良い課題」が見つかるまで、じっくりと寄り添ってもらえるという点は大きなメリットになると思います。
「良い課題」とは、当事者の困りごとが大きく、良い解決策が存在しておらず、課題の市場規模が大きいもののことを言います。インターネットやChat GPTで検索して出てくるような、誰もが知っている顕在化した課題ではなく、現場の一次情報から見つけた「まだ注目されていないが解決したら大きなインパクトが生じる課題」を見つけることができれば、スタートアップとして「良い事業」をつくることにつながるのです。
さらに、単に事業をつくるだけではだめで、独自性のある解決策に基づいて事業化せねばなりません。課題や解決策を見つけるのには多くの時間を要しますから、そこに寄り添ってもらえるのは、モチベーションを保つ意味でも大きいと思います。
今後、日本のスタートアップを盛り上げていくために必要な施策は、どのようなものだと考えますか?
支援するスタートアップのフェーズによって、必要な施策はだいぶ変わってくると思います。ただ一点、あくまで「スタートアップの数を増やす」という観点から言えば、精度の高い検証を行い、解像度や視座の上がったピボットができるよう支援することが大切なのではないでしょうか。
というのも、僕はスタートアップスタジオを運営しながら多くの起業家を見てきましたが、何か事業アイデアを思いついても、検証してうまくいかなかったとき、ピボットできずに起業を諦めていく人がかなり多いなと感じているんです。どれくらい多いかというと、例えばガイアックスが2022年に接触した起業家数は約1,300名です。そのうちの150名に深くコミットした支援を行い、実際にスタートアップとして立ち上げることができた起業家はわずか5名でした。
成功した5名の裏側には、起業しようと挑戦してみた1,300名がいる。この大勢の方々をもっと支援し、視座の上がった「高さのあるピボット」ができる人を増やせるような取り組みができれば、きっと日本のスタートアップは全体数がもっと増えるはずです。そうした施策を、僕らとしても考えていきたいです。
佐々木さんから見て、現在の日本におけるスタートアップのエコシステムの伸びしろはどのように感じていますか?
伸びしろは、十分にあると思います。ただ、本当に良い形に発展させていくためには、今のままではダメだと感じていて。今、行政や民間がこぞってスタートアップ支援に力を入れていますが、改めてその構造を見直して、変えるべきところは早急に変化を加えていく必要があるように思っています。世界の時価総額ランキングから日本企業が消え失せる未来もすぐそこまで来ていますから、良いところは伸ばし、歪みの出てしまったところは変えていくことが大切です。
ともするとスタートアップは「儲かる」という話にもつながりやすいのです。金銭的なメリットも大事ですが僕としてはそれ以前に、社会に散在する課題に切り込む新規事業を生み出すこと、世の中を大きく変えられるかもしれないスタートアップを生み出すことに本気で向き合って面白がれる人がもっと増えていくといいなと願っています。
スタートアップ支援の領域で増えてほしいプレーヤーについて、もう少し教えていただけますか。具体的にどのような人に、支援側に回ってほしいですか?
成功体験をしている人よりも、失敗体験がたくさんある人のほうが良い気がします。「失敗から学ぶ」という姿勢は、日本ではあまり流行らないんですけどね。ただ、スタートアップの世界では、やはり失敗者は称賛されるべきだと思います。
あとは課題を集めてくる人も、もっと増えてほしいなと個人的に思います。先ほども少しお話しましたが、やはり良い事業が生まれる背後には良い課題があるものなので、世の中の課題を敏感に察知して集めてきてくれる支援者がいたら、起業家はすごく助かると思います。
今後の展望を教えてください。
何年先の話になるかは分からないのですが、今後いずれは、日本のスタートアップスタジオを世界のスタートアップスタジオのモデルケースにしていきたいです。というのも、スタートアップスタジオは非常に難易度の高い事業体のため、うまく行かない企業はスタートアップスタジオとういう形態を辞めてしまうケースも増えてきました。そうした環境の中で、成功するスタジオを増やし、世界中のスタートアップスタジオが日本の事例を学ぶような状況をつくれたらと思っています。
また、日本は課題先進国ですから、社会課題を解決する事業において、世界的なスタートアップが出てきてもおかしくはありません。初手からグローバルに挑戦するスタートアップをもっと生み出せる環境をつくれるよう、協会としても尽力していきたいです。
(取材/長田大輝、JP Startups編集部 構成・文/市岡光子)
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