コロナ禍と通信技術の進歩を経て、日本でも、スマートフォンなどを使用してオンラインで診療を受けられる仕組みが広がってきた。オンラインで医師の診察を受けることができれば、病院が少ない地域に住んでいるなど、何らかの理由で医療機関に通院しづらい人たちが継続的に医療にアクセスできるようになる。少子高齢化で過疎地域が増えている日本にとっては、大きなメリットのある仕組みだと言えよう。
しかし、スマートフォンなどの個人デバイスを用いたオンライン診療では、診療の流れの中で医療機器の検査や医薬品の受け取りなどその場で実施ができない部分が存在する。また、そうしたオンライン診療から漏れてしまう人たちも一定数いる。スマートフォンの操作が難しい高齢者などは、その代表例だ。そして、そもそも日本だけでなく海外にも目を向けてみると、適切な医療にアクセスすることが困難な地域もたくさんある。
そのような医療アクセスの課題の解決に、「医療ボックス」というプロダクトで挑むのが、FLOATBASE株式会社 代表の井川 太介(いかわ・たいすけ)氏だ。井川氏は、イギリスの大学院でデザインとエンジニアリングを学んだ経験や、東アフリカのマラウイで起こっていた医療ひっ迫の問題をヒントに、オンラインでの診察専用の「箱」を開発した。このプロダクトのポイントは、老若男女問わず誰もが使いやすいデザインが施され、どのような地域でも導入しやすいよう「古紙」を素材として選択することで低コストで製造ができる点にある。
実証実験段階にあるという事業の全貌と事業にかける想いを、井川氏にたっぷりと語っていただいた。
技術とデザインで、あらゆる地域に医療を届ける「医療ボックス」
はじめに、FLOATBASEの事業内容を教えてください。
弊社は、どのような地域においても、お年寄りから子どもまで誰もが簡単に医療にアクセスできるシェアデバイス「医療ボックス」を開発・製造しています。
このプロダクトのサイズや使用イメージは、電話ボックスを思い浮かべていただけると分かりやすいかもしれません。人の背丈と同じくらいのボックスを地域に常設し、その中に設置されたディスプレイと通信設備を使いながら、オンラインで医師の診察を受ける仕組みです。
お年寄りでも使いやすいUI/UXにすることを心がけており、患者側の操作は画面に少し触れるだけです。あとはリアルな病院を受診するのと同じように、保険証の確認や問診などが行われ、医師による診察がスタートします。必要であれば薬の処方も医療ボックスで完結させることができ、服薬指導も可能です。
処方された薬を、後日郵送ではなく、その場で受け取れるということですか?
受け取れます。医療ボックスの中に薬をいくつか常備できるようになっているため、そこから必要な薬を患者さんにお渡しします。
このプロダクトでは、薬局と同等の機能を果たすことまでは想定していません。治療のフォローアップや一般用医薬品等の基礎的な医薬品の提供をイメージしているため、近隣住民のライフステージや健康状態に合わせて、ボックス内に常備する薬や設置する医療機器をカスタマイズし、その地域に本当に必要な医療を継続的に提供できればと考えています。
国内では、オンラインでの診療や薬の処方に対して、まだ厳しい規制が残っている部分もありますよね。
そうですね。ただ、日本でも徐々に規制の緩和が進んでいて、厚生労働省でも遠隔医療におけるさらなる規制の変更に向けて、医薬品の販売制度などの検討会が開かれています。これから、国内の医療のあり方はどんどん変わっていくはずです。弊社としては、そのような数年先の社会も睨みながら、医療ボックスの機能を設計していきました。
また、プロダクトの全体像は、国内だけでなく海外での活用も見据えて企画・開発しています。もともと医療ボックスの構想は、東アフリカのマラウイという国で医療がひっ迫している現場を目撃したことからスタートしているんです。最初から海外での展開も視野に入れていたため、ボックスだけで診療から薬のお渡しまでできる仕組みは絶対に整えたいものとして考えていました。
なるほど。ちなみに、医療ボックスで診療サービスを提供する医師は、東京などの都心部から集めてくるのでしょうか?
「都心の医師が地方の患者を診察する」といった使い方もできますが、自治体と連携して地域の医療機関とつながり、地域医療の一環として医療ボックスを活用していただくケースも想定しています。
例えば持病を持っている方が、家の前にあるボックスで定期的にかかりつけ医の検診を受けて薬を処方してもらい、異常が見られたりした場合には実際にその医師がいる医療機関に足を運び受診をするといったイメージです。
競合サービスは、スマートフォンで受けられるオンライン診療や医療用コンテナになるかと思います。これらのサービスとの違いや優位性は、どのような部分にあるのでしょうか。
まず、医療用コンテナに関しては、輸送や移動の観点で優位性があると考えています。医療ボックスは重量を200kg以下に抑えたため、専用のコネクタを使えば一般車両での運搬も可能です。しかし、医療用コンテナは重量が700kg以上あるために、移動させる際はトレーラーなどを使う必要があり、けん引免許を持った人材の確保が必要になります。すると、かなりコストがかかり、気軽に移動させることはできません。
一方、スマートフォンを用いたオンライン診療の場合は、高齢者に対してサービスの穴があると考えています。視力が落ち、スマートフォンで複雑な操作をすることに慣れていない高齢者にとっては、すべてを手元の端末で完結させなければならないオンライン診療は、使いにくいと感じる方も多いからです。また、些末な問題と思われがちですが、高齢になると手指が乾燥するため、スマートフォンの画面操作がしにくくなるという課題もあります。それらを診療のたびに経験することになり、その結果継続した使用につながらなくなってしまう可能性があります。
「医療ボックス」はそうした課題を抱える高齢者も使いやすい製品となるよう、あらゆる機能をなるべくシンプルな形に、基礎的な診療のフローをその場で完了できるようにデザインしました。ボックスの中に入れば、ディスプレイを1回タップするだけですぐに会話ができますし、タッチパネルも赤外線を用いたセンサーを採用したため、どのような方でもストレスなく操作していただけると思います。
人が入れる大きさのボックスにもかかわらず重さが200kgとは、かなり軽いですね。
素材の一部に古紙を使っていることで、この軽さを実現しています。古紙は加工性も高いですし、世界中どこにでもありますから、製造コストもとても安くなります。いずれ海外展開する際には、現地での製造も可能になると考えています。
発展途上国での普及も見据えているからこそ、コストを極限まで下げられるような素材の選択を行ったのですか?
どちらかというと、費用をお支払いいただくターゲットとして、国際機関や自治体を念頭に置いていることが影響しています。医療ボックスのビジネスモデルは、より多くの方に使っていただける製品となるよう、患者さんの費用負担をなるべくおさえて、海外であればWHOなどの国際機関に負担していただく形を検討しています。また、日本国内であれば、自治体が整備している補助金などを活用して医療機関に導入していただければと想定しています。
国際機関も自治体も、コストに関しては非常にシビアです。負担したコストに対して、より多くの方の命を救える選択肢を優先するでしょう。それゆえ、医療ボックスの価格をなるべく低く設定できるよう、材料コストを抑える工夫をしているのです。
キャッシュポイントは、医療ボックスの販売のみですか?
いえ、診療に使用していただくための医療ボックスの販売・リースとその中で診療毎にお支払いいただく「ソフトウェア使用料」をキャッシュポイントとして考えています。
自治体と丁寧に向き合い、カスタマイズしたソリューションを提供する
医療ボックスは現在、どのようなフェーズにあるのでしょうか。
現在は実証実験を行っている段階です。石川県七尾市の郵便局において、ソフトウェア単体での検証を進めているほか、2024年2月ごろには東京都の離島で実証実験をスタートさせる予定です。住民の方が本当に使いやすいプロダクトになっているか、誰でも使えるようなものになっているかを確認するのはもちろん、今回参加していただいてるステークホルダーの皆さまが医療ボックスの運用フローをすべて問題なく回せるかどうかも検証していきたいと考えています。
事業を行ううえで、医療業界や自治体で新しい機器を普及させる難しさも一部にあると思うのですが、その点はいかがでしょうか。
地域によって多様な状況やニーズを持っているため、丁寧な営業活動を行うことで、その難しさをクリアしていければと考えています。現在、自治体で地域の保健事業を担っている部署に対して、1件ずつメールをお送りしていて。お返事をいただけた自治体の担当者の方と、1対1で対話を重ねながら、ニーズなどをしっかりヒアリングするようにしています。
もちろん、営業コストは大きくなります。しかし、自治体の担当者にかかる負担を極力減らしながら理想の地域医療を実現するためには、各地域の抱える課題やニーズを丁寧にお聞きしたうえで、それらを解決できるような体制やソリューションをカスタマイズして提供していくことが現在のところ大切だと感じています。
自治体の負担削減にも心を配っているのですね。
自治体はその性質上、新しい物事に対してはどうしても慎重にならざるを得ません。また、最近は官民で新しいプロジェクトを手がける自治体も増えていますが、それらがうまくいかなかったり、せっかくやっても継続可能な取り組みにならなかったりといった経験をしたことで、新しい物事に対して拒否感のようなものを感じている現場担当者の方も多くいらっしゃいます。
そのため、自治体や地域の住民・医療機関・薬局・関連企業等の皆さまが弊社にかけてくださった時間を無に帰すことがないよう、着実にプロジェクトを前に進める覚悟で取り組んでいます。
マラウイでの原体験と医療機器開発の経験が、事業創出のきっかけに
そもそも井川さんはなぜ、医療ボックスをつくろうと思われたのですか? 先ほどは、マラウイの医療体制を目撃したことが大きなきっかけだとお話されていましたが。
医療ボックスのアイデアが出てきた背景には、私がこれまでのキャリアの中で医療業界に対して想いや考えを深めてきたことも一部影響しています。ただ、やはり最大の原体験は、マラウイの医療現場が抱える課題を目の当たりにしたことでした。
イギリスの大学院に留学していた2019年、現地で出会ったマラウイ出身の友人とともに、マラリア予防のプロジェクトを手がけることになりました。そのプロジェクトでマラウイに2ヶ月ほど滞在したところ、友人の実家がある村で、医療関係者が昼も夜もなく非常に忙しく働いている姿を横目に過ごしていました。そしてその状況は、友人の住んでいた村だけでなく、マラウイ国内で共通して起こっている問題だと分かりました。
なぜそういう状況が起きているのか。気になって調べてみると、マラウイの医療が抱える「需給のアンバランス」という課題が見えてきました。まず、マラウイは医療費を国が負担しているため、国民は無料で医療を受けることができます。それゆえ、地域の医療機関には患者が集まりやすくなっていました。しかし一方で、医療機関や医療従事者の数が常に不足した状況にあります。なぜなら、医師や看護師になる方は語学も堪能で、もともとしっかりとした教育を受けた優秀な方が多いため、マラウイ国内で医療を提供するよりも、海外へ移住してしまうケースが多いからです。
そうした状況を解決できるプロダクトをつくれないものか。そう考えたときに出てきたのが、オンライン診療で遠方の医師と医師不在の地域を結び、誰もが低価格で医療にアクセスできる医療ボックスのアイデアでした。
医療業界に対しては、どのような想いや考えを持っていたのですか?
主には医療従事者の働き方に対して疑問を感じていました。医師も看護師も、臨床現場や研究、試験など多くを抱えて常に忙しく、この状態を変えることはできないのかと問題視していたんです。
私は大阪大学の工学部を卒業した後、大手メーカーの医療機器部門で開発に従事していたのですが、仕事をする中で、医療業界の抱える課題も含めて本当にいろいろなことが見えてきたんです。
医療機器の開発は、当然のことながら競合企業に対して優位に立つために、「製品のラインナップを整える」「患者さんに対してより良い医療を提供するため、精度を高める」ということを目指すことも少なくありませんが私自身は徐々に、そもそも医療にアクセスがない方々が未だ多くいることや医療従事者の多忙な勤務状況等、医療業界に散財するより根本的な課題の解決に自分の人生の時間を使っていきたいと思うようになりました。それで、イギリスの大学院に進学してデザインやエンジニアリングなどについて学んだうえで、FLOATBASEを立ち上げたのです。
大学院卒業後は、かなりスムーズに創業されたのですね。
いえ、実はそうでもなくて。イギリスで大学院を修了した直後、そこでの友人とデジタル医療機器をテーマに起業すべく動いていました。ですが、資金調達がうまくいかなかったうえに、お互い別の国で働きながら本業が忙しくなり残念ながらプロジェクトを終わらせることになりました。その後、東京大学の「DLX Design Lab」という研究室で特任助教を務め、医療やヘルスケア等のプロジェクトに関わらせていただきました。それまでの失敗やもどかしさに加えて研究室の中での経験を経て、起業を諦めきれずFLOATBASEの創業があります。
そうだったのですね。ここまでのお話を聞いていると、イギリスの大学院で得たものがかなり大きかったのだなと感じます。
そうですね。大学院には、それまでの職業がエンジニアやデザイナー、哲学者、政治家、スポーツ選手だった方など、多様な方が学びに来ていて本当に貴重な経験でした。大学院のカリキュラムの中に、1年の時間をかけて課題発見からコンセプト企画、プロトタイプの制作までを行うプロジェクト型の授業が組み込まれていたのですが、そうした方々と一緒になって短期間でアイデアを形にし、新しいものを生み出していく過程は純粋に新鮮でしたし、とても大きな学びになりました。
大学院で出会った友人たちとは、今でも定期的にコミュニケーションをとっています。卒業生にはスタートアップを起業した人も多く、価値観の近い人も多いので、良い刺激を受けています。今後も大切にしたいつながりです。
井川さんはこれまでのキャリアの中で、一貫して「医療」の分野に携わられています。そもそもなぜ医療分野に興味を持つように?
おおもとは、子どものころから生き物への興味が強い子どもでした。ただ、直接的なきっかけは、奈良工業高等専門学校に通っていた際、大阪大学の先生と出会ったことが大きいと思います。
その先生の研究分野は「レーザー医工学」というもので、レーザー工学を応用した医療機器の開発をされていました。そこで経験した研究活動があって、人の生活に大きく関わる医療の中で工学の重要性や可能性に魅力を感じました。それが医療機器の技術開発や臨床開発のキャリアにつながっていると思います。
世界を飛び回り、多様な人との対話しながら働く組織を目指して
貴社は今、どのような体制で運営しているのですか?
現在、弊社の正社員として働いているのは、私と医療アドバイザーとして関わってくれている西川 百合子の2名です。技術面に関しては他社と共同開発を行ったり、副業で入ってくれているメンバーもいたりするので、チームとしては20~30名ほどの方と一緒に仕事をしています。
そうしたメンバーは、どのように集めたのですか?
前職で付き合いのあった方にプロジェクトへの参加をお願いしたり、知人経由で良い方を紹介してもらったりすることが多いです。弊社の描くビジョンやミッションに深く共感し、ボランティアベースで関わってくださる方もいらっしゃって、本当にありがたいなと感じています。
起業は大変なことも多いですが、一方で自分が本当に理想とするチームを組成できる醍醐味もあります。「この人と働きたい」と心から思う方と一緒に一つの事業をつくり上げることができるのは、非常に贅沢な時間だなと感じています。
今後は、どのような方と一緒に働きたいですか?
我々が製品を提供する地域のニーズは本当に多様です。そこに取り組むうえで、多様な分野で経験を積まれてきた方と働ければと考えています。そして、国内・海外、様々な場所でのプロジェクトが考えられるので、自走できる方と一緒に働くことができれば嬉しいです。いろいろな物事を好奇心を持って学び、新しいことに楽しんでチャレンジできる。そういう方は非常に魅力的ですし、今後本格的にプロダクトをリリースして組織を拡大する必要が出てきた際は、弊社で活躍していただけるのではないかと思っています。ジョインしてくださったメンバーのキャリアと人生を一緒になって考え、共に成長していけるような組織でありたいです。
ちなみに、貴社の「FLOATBASE」という社名にはどのような意味が込められているのでしょうか。
会社を立ち上げることに決めた際、いろいろな場所で、いろいろな方とコラボレーションしながらプロジェクトを進めていくことをイメージしていました。しっかりと軸を持ちつつも、世界各地を飛び回りながらいろいろな方と関わってさまざまな課題解決に貢献する。そんな「浮島」のような会社でありたいと思ったことから、「float(浮く)」と「base(土台、基盤)」をつなげて「FLOATBASE」という社名に決めました。実際に今、いろんな方とコラボレーションしながらプロジェクトを進めていて、FLOATBASEらしい動きができているように感じます。
今後の展望を教えてください。
今後は、まずは医療ボックスを発想するきっかけとなったマラウイでの事業展開を先に進め、その後に医療分野の規制が厳しい日本国内で展開していこうと考えています。マラウイへの展開にあたっては、WHOが途上国向けに医療用製品の推奨・認証を行っているため、そうした仕組みを活用しながら、マラウイの幅広い地域へと医療ボックスを普及させていくことができればと計画しています。
e-Health等に関する規制の検討は進んでいますが、マラウイは日本と比べれば、既存の規制が少ない国です。だからこそ、現地の方々とともに議論を深めながら、より良い医療アクセスを考えるうえで、協働しながらスピード感を持って事業を広げていくことができるのではないかと考えています。マラウイや周辺の国で開発を進めたモデルを、日本で事業を拡大するうえで参考にすることができるかもしれません。まずは実証実験に力を入れることが先ですが、検証が完了すれば、マラウイやその周辺国での展開にも尽力していくつもりです。
最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。
僕らもまだまだ若いスタートアップなので、あまりカッコいいことは言えないのですが……もし皆さんがスタートアップに興味を持っているのなら、自分が一番興味があって、人生の時間を割いてもいいと思えるものに関わっていただけると良いのではないでしょうか。パッションを傾けられる課題の解決に、自分が第一人者となって携わっていく。そういうチャレンジをする方が増えていくと、日本がより良い方向へと変わっていくように思います。
なるべく多くの方に、人生の中で一度は「事業を育てる」という宝物のような経験をしていただけたらいいなと感じます。今は事業創出をサポートする仕組みも多いですし、とてもいい環境が整っていますから、若い方にもぜひスタートアップに挑戦していただけたらと思います。
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